野村利三郎~野村理三郎~円通寺 では「理三郎」となっています。 箱館新選組。 新選組隊士。慶応3年頃入隊。 流山で投降した近藤さんに従い囚われの身に。 その後、ともに捕まっていた相馬主計と放免されると土方さんを追って北へ。仙台で合流(諸説有) 蝦夷地に渡り五稜郭へ進軍するとき主力の新選組は大鳥軍へ入るが、野村は一小隊を率いて土方軍の一員として陸軍隊に入る。 しかし事件は起こった! 陸軍隊隊長・春日左衛門 の指示を待たず勝手に先頭に進み出る。 春日は野村を止めようとするが聞かず、怒った春日と一触即発! 野村「鷲ノ木をいでしより以来、我が輩を後にして、汝の隊を先鋒に進ましむ。我が率い来たる兵を弱兵と侮り、後にせることを恨む。これによりて、今日自ら先鋒せり」 (鷲の木をでてから俺達を後ろにばっかり回して自分ばっかり先陣じゃんか。俺の隊を侮ってんじゃねぇぞ。今日から俺らが先陣だ!) 春日「汝、速やかに後陣に下がれ。軍令を乱すにおいては罰を加えん」 (お前はすぐ後ろへ行け。軍令を乱すなら罰するぞ) 野村「我、汝が私の令(私心で発した命令)をただすものにして、軍令を乱すにあらず。汝、我を罰するにおいては、我、また、汝を罰せん」 (俺はお前の勝手な命令なんか聞けるか。お前が俺を罰するなら俺だってお前を公私混同で罰してやる!) 注:( )は私の解釈です。まあ、こんな感じ。だと思います。 騒ぎに気づいた伝習隊隊士が止めに入ったところに土方さんがやってきた!! 殴り飛ばされたかしら?(^^ゞ ともかくこの場はこれで納める(ここで土方さんらしからず(?)特に罰も与えずに済ます)が、収まらないのが春日さん。 五稜郭に入城後榎本さんに直訴、でも榎本さんも野村をかばい罰はなし。 ここで野村に罰を与えたら新選組と陸軍隊で戦争に…。(>_<) そんな利三郎クン、明治2年3月25日宮古湾海戦で果敢に戦って戦死。 函館称名寺にお墓があります。 お花でわかりにくいけど土方さんの戒名の下、一番右に名前が見えます |